チャリティーランナー SUPER EIGHT 横山裕
横山裕が走る理由を24時間テレビで話してくれました。
そこには、自身の生い立ち、家庭環境にあった。
横山裕とはどんな人なのか。
横山裕とは、陽気でストイックで涙もろい人。
メンバー安田章大からも、陰で努力する人と言われている。
丸山隆平からは、お兄ちゃん的存在でお願いしたら全力でやってくれる。
WEST小瀧望からは、自分以外の誰かのことを考えている。
そんな愛されキャラの横山裕だが、その笑顔からは想像もつかない人生を送っていた。
俺なんかいらんのちゃうかなと思う日々。
メンバー村上からも、「過去はあんまり自分で口にはしなかった」と言う。
丸山 「普通は自分の家庭のことなんて言いたくないと思うのに、自分と同じ境遇の人がいれば」
村上 「急にパンドラの箱が開き出したと思った」
横山裕の生い立ち
華々しいステージに立つ上で、ずっと確かめたかったことがあった。
その横山が走ると決めた理由とは、自身の生い立ちが関係していた。
15年前に亡くなった、母・美菜子さん
横山にはお父さんと呼んだ人が3人いた。
3歳で両親が離婚して、シングルマザーに。
実の父の顔は知らない。
本当は横山では無いのではないか。と思うこともあった。
裕福ではなかったが幸せだった。
母は自身は、化粧やおしゃれを一切せず、写真を見返すと、良い服を着せてもらっている横山。
ずっと子供のためにと、子どもに尽くしてきた。
そんな母は、5歳の時に再婚。
その2人目の父の名字の【横山】を受け継いだ。
しかし、横山の父とは上手く行っていなかった。
居場所がなく、俺なんかいらんのちゃうかなと思うこともあった。
祖父母の家に逃げていた記憶があった。
そんな横山を救ったのは、父親違いの弟の誕生。
6歳と8歳違いの二男・勤さん。三男・充さん。
中学を卒業すると、家計の負担を減らしたいと思いから、建設会社に就職。
工事現場で働きながら、タレント活動をスタート。
その後、関西ジュニアとして注目を浴び、東京で一人暮らしをスタートさせる。
しかし、母が癌になり、体も弱りきって、入退院を繰り返す日々の中、離婚をしてしまう。
これからの生活は「どうすんねんっ。」と考える時期があった。
弟はまだ9歳くらいで横山も20歳にまだなっていないくらい。
生活が厳しくなり、幼い弟たちは児童養護施設へ。
どうにかしないといけないと、がむしゃらに仕事をしていた。
弟たちへの思い
ずっと親と離れた、弟たちはどんな思いで過ごしていたのかがずっと引っかかっていた。
弟・充さんが過ごしていた児童養護施設に、20年ぶりに訪れた。
当時の先生方もまだ残っていて、先生たちが毎日つけていた日記を見せてもらった。
そこには、兄・横山に関することばかり書かれていた。
テレビに出ている兄の番組の録画をお願いをしたり、CDデビューした兄の活躍を喜んでいる姿だったりと。
しかし、嬉しい反面会いたい気持ちが強くなり、ホームシックになった時期もあったという。
23歳でデビューを果たし、母・美菜子さんが他界してからは大阪に戻り、弟たちと3人暮らしを始める。
弟たちには、生き抜くには強くないとあかんと、強く言っていた。
弟たちが一人前になるまでは、自分が支えるんだと思いから、生活費や学費を支援。

Screenshot
横山 「嬉しかった。やっと受かった。やっとなれた。」
もう一つ最も嬉しい瞬間が訪れる。
その結婚式で勤さんから、感謝の言葉「ありがとう。」という手紙が。
それを聞いて、とても救われた。
父親役として、「間違ってなかったんだ。正解やったんや。」と思い、涙が止まらなかったという。
同じ境遇の子、そんな子達がいるということを知ってもらえればいいな。
子ども達の為に、走れれば良いなと思い。
誰がなんと言おうと走る!!
これがSUPER EIGHT横山裕が24時間テレビで走ると決めた理由。
テレビ越しから活躍をいつも応援していて、複雑な家庭環境で育ったということは知っていたが、改めて聞くと本当にデビュー出来て、20周年を迎えることができて良かったなと心の底から思います。 そして、どこを探してもこんなに出来た兄はいないなと思いました。こんなに全力でサポートしてくれて、したい仕事全力で応援してくれる。今まで過ごしてきた人生は苦しかったかも知れませんが、私をこんな兄が欲しいなと思いました。これからもテレビでの活動、活躍、年々格好良くなっていく横山裕さんを応援しています。体には気を付けて頑張ってください!!
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